一九八三年十一月号の創刊号を開くと、まず岡井隆の「上野久雄に寄す」とタイトルの付いた作品五首が飛び込んでくる。六十名足らずで発足した雑誌ではあるが、幸福なスタートを切ったことがその作品からも分かる。当初隔月刊行であった雑誌は、上野久雄の並々ならぬ情熱で会員が増加し一九九七年六月には月刊に移行、今日に至っている。その間なんと三十二年の歳月を経て300号に達したことになり、感慨深い。
私が入会したのは創刊から二年目であるが、当初から驚きの連続であった。例えば大会や新年会には歌壇の最先端で活躍する方々をお招きして講演や歌評会を行っている。岡井隆、大島史洋、小池光、松平盟子、佐伯裕子、俵万智、栗木京子、さいとうなおこ、花山多佳子、小島ゆかり、島田修三、道浦母都子、山田富士郎、加藤治郎、吉川宏志等々書き出したらそれだけでこのページが終ってしまうほどの方々に入峡して頂いているのである。またこれらの顔触れに「みぎわ叢書の批評」や「月集批評」などの文章を寄せて頂いていることも大きな励みになった。
これは全て上野の創刊理念である「山梨の短歌風土に風穴を穿ち、歌壇の尖端いまあるものを遠隔の地にあっても同時摂取したい」という文学運動に寄る。この結果、現在では山梨県で中央から歌人を招くイベントがあるとたちまち大勢の人が集まるようになったのである。「みぎわ」の活動にご協力いただいた歌壇の諸先輩に改めて感謝申し上げたい。
さて、上野が亡くなって七年半が経過した。会員は大きな試練を乗り越えたことで、一回りも二回りも成長したと思う。試行錯誤はあったが、編集委員を中心とした中央歌会や各地歌会での指導も定着した。こうした中で歌論が書ける作者が育っていること、歌集を出版してもいい実力のある会員が揃っていることは大きな楽しみである。
しかし、私がいま最も心を痛めているのはいわゆる高齢化等による会員の減少である。ここ数年殊に大会や新年会の参加者が以前より少ないことを懸念してはいた。しかし、迂闊にも高齢化の現状がここまで深刻化しているとは思わなかったのである。単純に八年前の二〇〇号記念時と比較してもかなり会員数が減少していることを、大変切実に受け止めている。このため様々な対策をはじめた。その一つが五月からスタートした大学でのカルチャー講座である。「みぎわ」は作品発表の場と同時に、私達の心の支えでもあるはずだ。一人一人がこのことに問題意識をもち、この場が失われることのないよう会員の獲得に貢献してゆこう。
この機会だから結社の現実的な側面も書いたが「みぎわ」は沢井照江編集長の下、一度の刊行の遅れもなく順調に発行されている。また若手の勉強会「ムーサの会」や「鮎の会」をはじめ、各地歌会や自主グループでの勉強も活発に行われていて、作品レベルは着実に上がっている。決して辛いことばかりではない。さあ充実した雑誌を目指し、400号へと歩み出そう。